秘めた想い
〜前編〜




あなたは覚えていないでしょう
私と一度会っていることを

だってあんなに小さな出会いだったのだから

だけど 私にとっては…
大切な出会いだったのだから








「ふぅ…」
これで何度目だろう。
原因は、この間出かけたときに偶然もれ聞いた道場の声。
あんまり道場らしくないけど、活気のあるあの、道場。
剣で生きていきたいって思っているけど、
なかなか進まない自分の日常のせいか、
やけにそればかりが残ってる。



「もう一回、そーっとのぞくだけなら…大丈夫よね。」
このままでは埒があかない。
だから、もう一回だけあそこに行ってみよう。
そうしたら、何か開けるかも、そう思ったから。








「ちゃんと記憶に残っていると思ったのが甘かったのかなぁ」
この間行った道だからと軽く考えていたのがよくなかったのか、
近くまでは順調だったのだけれど、肝心のあの道場が見つからない。
「もう、日も高くなってきたし…あまり時間が遅くなると
照姫様にご心配をおかけしてしまうし…」
見つからず、時間だけが刻々と過ぎていく中で
私は少し途方に暮れ始めていた。



「何かお困りなのですか」
後ろから、男性の声で問いかけられる。
はっと気が付くと、私は道で立ちつくしていたらしく、
後ろから来た男性は心配そうに顔をのぞき込んでいる。
見たところ学者風のめがねをかけた男性。
「もし、ご気分が悪いのでしたら私もご厄介になっている道場が
近くですから少し休んで行かれませんか?」
「道…場?」
「道場と言っても、ご婦人にはあまりなじみありませんね。
道場主さんの奥さんに話して少し休めるようにお願いしますから。
私は山南 敬助 といいます。」
彼は私がその言葉に不信感を示すと思ったのか、そう付け加える。


「あの…私、道に迷っているのですが、このあたりで道場というのは…」
「このあたりでと言うなら試衛館、うちだと思うんですが…
何かご用事だったのですか」
「いえ、そちらを目印にと言われてたので…」
苦しい嘘。
だけどまさか声を聞くために来ました、とは言えないし…
「でしたら、なおさら少し休んで行かれるといい。あまり顔色もよくないようだし。」
そう言うと、遠慮はいらないと私を押していくように道場への道を教えてくれた。





「ちょっと、ここで待っていてください。」
そう言って山南さんが入っていった先は、この間の道場。
ようやくたどり着いたけれど、今日はなんだかしん、としている。
そんなことを考えているうち、山南さんが凛とした印象の女性と共に出てきた。
「あ…あの」
「大したおかまいはできませんけど、少し休んで行かれるといいですよ。」
その女性はここの道場主さんの奥さんでつねさんというそうだ。
「あの、そんなご迷惑は…」
「迷惑なんてとんでもない。ちょうどほとんどが出かけていて静かですし。」
それに、とつねさんは微笑んで、
「突然のお客様には慣れてますもの」

そこまで言われては断れず、私は少しだけ、と休ませてもらうことにした。





中に入ってみると、そこは新しいとは言えないものの、
こざっぱりとした居心地のいい空間だった。
そして私にとっては懐かしいにおいのする場所。
「ごめんなさいね。大したおもてなしもできないんですけど。」


「…こちらはいつもこんな感じなんですか?」
この間聞いたあのざわざわした感じはないから。
あの時だけだったのか…。
「いいえ、いつもは蜂の巣をつついたような騒ぎなの。
私の主人、近藤というのですけれどにぎやかなのが好きな人ですから。
それに、先ほどあなたをここに案内してきた山南さんのような方が
何人もいらっしゃるからそれはそれは大変なの。」
そういいながらも、つねさんはどちらかというと楽しそうだ。
その気持ちは何となくわかる。
私も、そう…だったから。





そう言いながら、つねさんと話をしていると、
先ほどの…山南さんがやってきた。
「少しは気分よくなったようですね。
あそこで立ちすくんでいるときには本当に驚きましたから。」
「すみません、ご心配を…」
そう言いかけたとき、先ほど入ってきた入り口の方から
大きな声が近づいてきた。
「あら、意外と早かったわね。」
「あの…??」
何かあったのかと問いかけると、
「ああ、ここの門人の方々が戻ってきたんですよ。
なかなか静かにとはいかないみたいですね。」
「そうね、あの声だと原田さん達かしら。」
そういうと、つねさんは忙しくなっちゃう、
といいながら入り口の方へ向かっていってしまった。


通してもらった場所が少し入り口から離れていたこともあって
こちらには来ないようではあったけれど、
それでもガヤガヤとした雰囲気はこちらにもわかるほどだった。





「…にぎやか…ですね。」
「そうですね。でも、」山南さんはくすっと笑って、
「まだ、序の口かもしれませんね。戻ってきたのは半分くらいですから。」
「半分…?」
「ええ、ここの道場の主はまだみたいですから。
あの人が戻ってくればもっと騒がしいですよ」
そういうこの人は本当に楽しそうだった。
本当にこの場所が好きなんだなって思うと少し、
うらやましい気がした。



「山南さんは…ここが本当にお好きなんですね。」
そういうと、彼は少し驚いたように目を丸くして、そして微笑んで、
「そう…ですね。私は本来ここの門人ではなくて客分だったのですが、
それでもここは居心地がいい。
他の人たちも同じように思っているからここにいるのでしょうけど。」
山南さんはそう言って、あっちで騒いでいる人たちもねと向こう側をさした。


自分の居場所……


それを持っている彼らが私にはただ、うらやましくて。
まぶしくて。


こんな風に、明るく話せたら…










「すみません、ご婦人にはこんな話はつまらなかったですね。」
どうやらぼんやりしていたらしく、ふと気が付くと山南さんは私を見ていた。
「いえ、活気があっていいな、と思っていたら考え事をしてしまって…」
とっさで、話を繕えず思ったままこたえる。
「そうですね、あの人達から活気を取ったら…存在意義が無くなってしまうから」
そう、言って笑う。





「でも、こんな世だから…そういう方がいいのかも…しれません」
そう、自分に恥じなければ。
ここの人たちは、自分の心に正直にいるから。
だから、ここの活気に私は惹かれたのかもしれない。


「私、そろそろ行きます。本当にありがとうございました。」
私は気付いたから。自分に正直であることが、
私の一番望む形なんだって。
そのためになら、頑張れるとわかったから。


「そうですか。では…近くまで送りましょうか?」
「いえ、大丈夫です。訪ねるのはまた今度にして、今日は戻りますから。」
「そうですか。でしたら、あちらは人が一杯ですから、裏から回りましょう。」




山南さんは、私を最初に出会ったところまで見送ってくれた。
私の背中を押してくれた優しさに心の中でお礼を言いながら、
お屋敷へ戻り、照姫様へ私の思いを伝えた。



もう、迷わない。



そう決心させてくれたあの道場の人たちと一緒に過ごすなど、
その時の私は全く予想していなかったけど。



何物にも代えられない強い絆のある場所になるなどと
思ってはいなかったけど。



そして…あの時出会った人が私の運命を変えることになるなんて…
思わなかったけど。


ずっと、思ってた。
たとえあなたに想いが届いても、きっと変わらないんだって。
だって、私にも、あなたにも自分を賭けて譲れないものがあるから。


でも、あの人のそばに女の人が近づくのは切なくて。
だから…




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